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轟醸造について
幸田町から始まった
戦後の農地改革の中で農業協同組合が生まれ、加工部の事業として甘藷(かんしょ)から「芋アメ」が製造されました。さらにこれをアルコール化しようと、当時生産組合長であった平岩幸一を中心に会社を発足させました。寝食を忘れて技術の習得、作業に没頭した結果、年を追って地場産業としての成果があがり、一般に「轟焼酎」と呼ばれ世の注目を浴びるようになりました。その後、会社の業績も順調に伸び、営業種目も数を増し、果実酒免許および甘味果実酒免許を取得。製品の銘柄名に合わせ、昭和42年に会社名を轟醸造株式会社と改め、現在に至ります。
